展覧会の構成

モネ、スーラ、シニャックからマティスまで。色彩表現の変化の軌跡

プロローグ

1880年代の印象派

1874年に第1回のグループ展(いわゆる印象派展)を開催した印象派の画家たちは、光や色彩を目に映るままに生き生きと描き出しました。モネやカミーユ・ピサロら主要な印象派の画家たちは、絵具を短い筆触で画面に置くことで色彩の明るさを実現し、揺らぐ水面や刻々と移り変わる光を捉えました。こうした印象派の作品は、画家を志し始めた若いスーラやシニャックら、後に新印象派と呼ばれる画家たちに大きな影響を与えます。また、すべての印象派展に参加したピサロは、早くから彼らの新しい技法の可能性を認め、1885年頃には自らも点描技法を用いた作品を制作しました。そして、このピサロの勧めで、スーラ、シニャックは1886年に開催される最後の印象派展に参加することになります。

クロード・モネ 《税関吏の小屋・荒れた海》

クロード・モネ 《税関吏の小屋・荒れた海》
1882年 油彩、カンヴァス 58×81cm
日本テレビ放送網株式会社

Scene.1 「1884年、パリ グランド・ジャット島」

第1章

1886年:新印象派の誕生

1886年5月に開幕した第8回印象派展。そこに、ベルト・モリゾやピサロは参加したものの、モネ、ルノワールなどの主要な印象派の画家たちは出品せず、かわってスーラの記念碑的大作 《グランド・ジャット島の日曜日の午後》をはじめとする点描技法による作品が大きな注目を集めました。スーラのこの大作への入念な準備は、本展でもご紹介する油彩習作の数々からも窺い知ることができます。美術批評家フェリックス・フェネオンは同年9月、この新しい表現を「新印象主義」という言葉を用いて評しました。

ポール・シニャック《クリシーのガスタンク》

ポール・シニャック《クリシーのガスタンク》
1886年 油彩、カンヴァス 65×81cm ヴィクトリア国立美術館、メルボルン(1948年フェルトン遺贈)© National Gallery of Victoria, Melbourne

ジョルジュ・スーラ《セーヌ川、クールブヴォワにて》

ジョルジュ・スーラ《セーヌ川、クールブヴォワにて》
1885年 油彩、カンヴァス 81×65.2cm 個人蔵 © Droit Réservé

ジョルジュ・スーラ《〈 グランド・ジャット島の日曜日の午後〉 の習作》

ジョルジュ・スーラ《〈 グランド・ジャット島の日曜日の午後〉 の習作》
1884年 油彩、板 15.5×25cm オルセー美術館、パリ
Don de Mlle Thérèse et de M. Georges-Henri Rivière en souvenir de leurs parents, 1948 © RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

Scene.2 「1886年5月、パリ ラフィット通り1番地」

第2章

科学との出逢い - 色彩理論と点描技法

印象派の画家たちが経験的・感覚的に実践した筆触分割を、科学的な理論をもって発展させたのが新印象派の画家たちといえるでしょう。彼らは、パレット上で絵具を混ぜるのではなく、短い筆触で純色を規則的に置くことで、観る人の目の中で混ざり合って知覚されるくすみのない色彩を作り出そうとし、また赤と緑といった補色の関係を参照することでその効果を高めようとしました。スーラをはじめ他の画家たちも、シュヴルールやルードらの最新の光学と色彩理論を熱心に学びました。

ポール・シニャックのパレット

ポール・シニャックのパレット 個人蔵 © Patrice Schmidt

第3章

1887年 - 1891年:新印象派の広がり

パリで生まれた新印象派の作品は、第8回印象派展の翌年2月にはベルギーで展示され、すぐに国際的な広がりをみせます。フランスでは、ルイ・アイエやアルベール=デュボワ・ピエが独自に色彩理論を研究した作品を発表し、ベルギーではレイセルベルヘやウィリアム・フィンチ、オランダから参加したトーロップらが点描技法を用いた作品を「20人会(レ・ヴァン)」の展覧会に発表しました。彼らは、農村の風景、都市の生活、水辺の光景や肖像画など、関心のある主題に取り組み個性を発揮します。そして、1891年にスーラが31歳の若さで亡くなると、新印象派は新たな展開を迎えることとなります。

ジョルジュ・モレン《日没》

ジョルジュ・モレン《日没》
1891年 油彩、カンヴァス 55×67cm 個人蔵
© Private Collection, Belgium

ジョルジュ・スーラ《ポール=アン=ベッサンの外港、満潮》

ジョルジュ・スーラ《ポール=アン=ベッサンの外港、満潮》
1888年 油彩、カンヴァス 67×82cm オルセー美術館、パリ
Achat sur fonds d'une donation anonyme canadienne, 1952 ©RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

ポール・シニャック《髪を結う女、作品227》

ポール・シニャック《髪を結う女、作品227》
1892年 エンコースティック、裏打ちされたカンヴァス 59×70 cm
個人蔵 © Droit Réservé

ヤン・トーロップ《マロニエのある風景》

ヤン・トーロップ《マロニエのある風景》
1889年 油彩、厚紙に貼られたカンヴァス 66×76.2cm ドルドレヒト美術館

Scene.3 「1887年2月 ブリュッセル、ベルギー」

第4章

1892年 - 1894年:地中海との出逢い - 新たな展開

スーラの死後、シニャックとクロスらが新印象派を新しい段階へと推し進めたのは、地中海沿岸においてでした。シニャックは1892年にサン=トロペの魅力を見出し、多くの時間をこの地で過ごします。その前年、クロスはサン=クレールに永住を決め、穏やかで牧歌的な作品を生み出していきます。シニャックはリュスやレイセルベルヘら友人もこの南仏の楽園に招き、きらめく海と強烈な太陽の下、光と色彩の探求をつづけました。

ポール・シニャック《サン=トロペの松林》

ポール・シニャック《サン=トロペの松林》
1892年 油彩、カンヴァス 64.6×80.5cm 宮崎県立美術館

アンリ=エドモン・クロス《農園、夕暮れ》

アンリ=エドモン・クロス《農園、夕暮れ》
1893年 油彩、カンヴァス 65×92cm 個人蔵 © Patrice Schmidt

Scene.4 「1892年3月 ブルターニュベノデ港」

第5章

1985年 - 1905年:色彩の解放

すでに1890年代初頭には点描技法から遠ざかる画家たちがいましたが、シニャックらの作品も、初期の新印象派の様式からは徐々に異なるものになっていきました。南仏でシニャックは、スーラの理論を引継ぎながらも、強い色彩を用い、モザイクのような大きめの筆触による表現を確立しました。科学に基づく厳格な点描技法から解放され、より自由で、より色彩豊かな装飾性の高い画面が実現します。またクロスは、1895年頃から光による色彩の変化よりも色彩そのものの強さに関心を高め、リュスはフランス北部やベルギーの工業地帯に取材した作品を描きました。

アンリ=エドモン・クロス 《地中海のほとり》

アンリ=エドモン・クロス 《地中海のほとり》
1895年 油彩、カンヴァス 65.5×93cm 個人蔵 © Steven Tucker

マクシミリアン・リュス《シャルルロワの高炉》

マクシミリアン・リュス《シャルルロワの高炉》
1896年 油彩、カンヴァス 65×81cm
シャルルロワ美術館 © Photo Luc Schrobiltgen

エピローグ

フォーヴィスムの誕生へ

「フォーヴ(野獣)」という名が誕生したのは、1905年10月に開幕した第3回サロン・ドートンヌにおいてでした。その前年、シニャックの招きに応じてサン=トロペに滞在したマティスは、クロスとも親交を深め、点描技法を試みます。その後、ドランとともにコリウールで制作を行い、ここで後の「フォーヴィスム」が芽生えることになりました。固有色の再現や点描の規則性からも解放され、原色を用いる強烈な色彩や大胆な筆触による力強い作品が生み出されていきます。この新しい様式はまぎれもなく、点描技法を経て新印象派の画家たちが探求した独自の表現をひとつの源泉として生まれたもので、その後も20世紀の前衛画家たちに豊かなインスピレーションを与えていきます。

ポール・シニャック《マルセイユ、釣舟》または 《サン=ジャン要塞》

ポール・シニャック
《マルセイユ、釣舟》または 《サン=ジャン要塞》
1907年 油彩、カンヴァス 50.5×61.5cm
アノンシアード美術館、サン=トロペ
Collection Musée de l'Annonciade,
Saint-Tropez / Photo P. S. Azema

アンドレ・ドラン 《コリウール港の小舟》

アンドレ・ドラン 《コリウール港の小舟》
1905年 油彩、カンヴァス 54×65cm 大阪新美術館建設準備室

Scene.5 「1904年7月 サン=トロペ シニャックの別荘」
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